新うきさと通信 

三重県の山里から

     「もっと大切な課題…」

               資格が問われている

 経済同友会桜田謙悟代表幹事が5日の定例会見で、安倍首相の「桜を観る会」問題に触れ、「ほかにもっと、大切な課題がある」と、国会がいつまでも同じ議論を続けることに疑問を呈した、と伝えられている。

 この種の意見は「もりかけ」問題の際にも、「いい加減にしたら」、「うんざり」、「飽き飽き」などの反論が与党など、各方面から出た。「もっと大切な課題」があるのは事実その通りで、こんなレベルの低い議論は願い下げにしたい。

 だが、政治が国民からの「信」の上に成り立つものである以上、それは底の浅い了見だ。いま問われているのは、安倍政権に「もっと大切な課題」に取り組む「資格」があるのか、の一点なのだ。それがなければ、直ちに職を辞すか、解散・総選挙で国民の審判を仰ぐのがスジだ。尤も、過去にはそれをやって再び与党が大勝した例はあるのだが。

 飽き飽きするほどつまらない、と感じるのは、政治を「見物」しているからであり、それは場合によっては、汚職でさえ許容しかねない危険な兆候ではないか。政治堕落がこんなに長く続くのは、まだ日本にはそれだけのキャパシティがあることの裏返しとも言えるが、同時に国民の「忍び寄る」ものへのアンテナが錆びついている証左でもある。

取りあえずは「時代の気分」と言っておくにしても、2・26事件の北一輝や浅原才一は彼岸で何を思う?。政治不信で選挙と候補者の実相を見抜く目を曇らせるな、と叫ぶ声が聞こえはしないか。