新うきさと通信 

三重県の山里から

神は在るのか……「意味」の見地から

 歳をとると、トンネルのように、前方に黒点が見え始め、日ごとに大きくなってゆく。「飛蚊症やないの」と、冷やかす女性がいるが、「80になったら、分るよ」と、いなす。女性は79歳。たった1歳なのに、大台に乗るか、乗らないかで、心持は決定的に違う。黒点の奥の闇は「死」だ。

 死後の世界・神はあるのか、ないのか。所謂、神学論争というやつは、全人類が納得するような客観的、普遍的な証明はできまい。結局、「あると思えばある。ないと思えばない」という、当人の主観に落ち着くのが現実だろう。

 だが、1つだけ、ずっと、毎日のように考え続けていることがある。「意味」だ。

 55年前、自分の弟より可愛がっていた従弟が、高3の3学期の末に事故死した。同乗していた友人のバイクが右折しようとして、直進のタクシーに跳ねられた。病院のベッドで寝返りを打ち、「重油をくれ」と呟いたのが最期だった。

 就職が決まり、4月1日から出社だった。貧しい家庭に育ち、「これで親を安心させられる」と喜んでいた。穏やかで、優しかった。生きていたら74歳。素晴らしい相棒になってくれたろうに。

 神も仏もあるものか―。京都の墓参りに年2回、30数年通った。神・死後の世界がないとすれば、それは「犬死」となる。そんなことはない。これだけは、だれが何と言おうと絶対に譲れない。それが何かは分らないが、何らかの「意味」がそこにはあるのだ。太平洋戦争での若き特攻隊員の死や、前途有為な若者の死に「意味」はないのか。ないのなら、彼らの死は「無駄死」になる。人は、そんな理不尽に耐えられるだろうか。

 「意味」があるとすれば、それは神(超越者)が在るからではないか。神とリンクしているからこそ、その死が無駄でなくなるのだ。でなければ、何がそうするのか。墓石への語りかけは、肉から離れた魂との交感であり、実在の神への感応ではないのか。神の在る無しは、「意味」の見地から考えてみれば、辿り着く結論はすぐ目の前にある。

  キリスト者として名高い元東大総長の矢内原忠雄氏は、「地上における短命は、天国における生涯によって償われるであろう」と説いているが、それだけではない。その短命に「意味」があってこそ、無念にも前途を断ち切られたことへの救いがあるはずだ。

    続・宿借り村の風景…②

               他人とは何?

 いつ死んでもおかしくない歳になって辿り着いた究極の疑問は、「他人とは何か」。あらゆる時空軸で繰り広げられてきた戦争、地域紛争、貧困、較差・差別、いじめ、疎外、恫喝…。当たり前のことだが、どれも、自分と他人との関係から生まれたもの。

 無人島での独り暮らしに意味はない。そこに、別人が現れたとき、初めてその生に意味が発生する。複数の人が在ることで「問題」が起き、そこに意味が付き添ってくる。

 他人とは、大雑把には、「敵」か「味方」として捉えられるだろうが、そこで途切れるほど、コトは単純でない。人は、自分の成功が才能と努力の結果だと自負しがちだが、それですましてよいのか。人は他人と関わることで触発され、育てられる。イヤな「敵」も、見えないが、しかし細く、確かな糸によって繋がっている。そのお陰で、今の自分が在るのではないか。それに、もし500年前に生まれていたら、今の境遇を得られたかどうか。

 集落に移住して最初に驚いたのは、年に1度の旅行に参加しなかった住民の氏名の公表。なぜ、こんなことをするのか、いくら考えても解らない。町でなら人権問題に発展するだろうに、ここでは、みんな押し黙っている。晒しものにされた当人も。

  寄り合いの場で抗議したが、昔からの慣わしらしく、自治会の幹部は「これは、やらんことにはあかんのや」と、ワケも言わずに素気ない。「ここは日本やで」と、叫びそうになったが…。

 帰り際、出席者の老人が耳元で囁いた。「よう言うてくれた。あんたの言う通りや」、「それやったら、なんで、さっきそう言わんかったんや」、「そんなこと口にしたら、村におれんようになるがな」。怖いボスがいるのだ。

 筆者は未だ「他人」を定義づけていない。ただ、こうした体験も、他人への思いやりを大切にすることで、心身の世界が広がり、生きる張り合いが漲ることを教えられた。自分1人で食した旨い物は、他人と分ち合うことで歓びは2倍になる。

 「自分」を小さな自分の中に閉じ込めてはいけない。自分を解放することで、他人のために生きよう。マザーテレサ道元が喝破したように、「自己を忘れる」のである。凡夫ならではの限界はあるが、その向こうに宏大な、新しい世界が広がっていることだけは間違いない。

                                                            親孝行

 若い人に逢うと、決まって「親孝行しているか」と訊く。クビをヨコに振る人には、何もしなければ、深い悔いに苦しめられる、と諭す。

 家父長制が消えたことで、死語となった感が強いものの、父・母の日には、祝い事をする青年子女は少なくないが、近代化が進む中で、昔のように両親を敬い、大事に思うという道徳は薄れてしまった。だが、人間の本性は…。

 20歳をすぎたころから、「墓に取りすがって泣いても遅いで」と、母親によく言われた。自分への孝行を望んでいたわけではない。息子に深い悔いを残させまいとする親心なのであった。体験の裏打ちによるものか、人間の本性を深く見抜いていたのだ。その真意が今になって解る。

 筆者が35歳の時、65歳で亡くなった。時間が経つにつれ、往時を想い出す。あれも、これも、してやれなかったと、悔いは募った。が、100点満点で、60点くらいはとれたか、と自分を許している。

 落第点を背負うと、生涯に亘って自分を責め、苦しむ。食事、通勤・職場、観光、浴場…どこで、何をしていも、心から楽しめない。爾後の人生を棒に振る。尤も、それまでに、どんな親子関係を築いてきたかの問題は残る。恩讐の彼方へ去り行かない親もいる。頗る難しいのだが。

 

 

                    続・宿借り村の風景…①

 これでも21世紀の日本?。24年前、町から標高330㍍の山の集落へ移住したことで、それまでの世界―日本―自己という、信じて疑わなかった存在体系がガラガラと崩れ落ちた。「日本」と「自己」の間に「地域」が割り込み、呆れ、のけ反り、怒り、嗤い…。

 その生々しさは、まるで、人間の刺身を味わっているよう。「伝統」、「習慣」などという手垢にまみれた言葉ではとてもやり過ごせない。かつての民俗学は旅人によって創られた。が、真実・深層は暮らしてみなければ解らない。以下は、当年84歳の、老人の、感慨の断片である。タイトルの「続」は、本題で10余年前に電子出版したことによる。

           

            

             

              

               

             「ここには、ここの習慣」                                                                

 「ここには、ここの習慣があるんや。黙って知らん顔して、今まで通り使うたらええんや」

 「けど、土地の所有者が変わったことを知った以上、知らん顔はできません。新しい名義人の許可をもらわんと、道義的にも、法的にも問題になります」

 「あっ、そう。それやったら、どーぞ、どーぞ」

 住職は、両手の掌を膝に降し、外側に向けて2度、3度、穢れた生き物を追い払うように煽った。視線が針紛いに尖っている。

 「そんな冷たいこと、言わんでも…」

 低く、静かに急所を衝いた。仏教、中でも親鸞を宗祖とする浄土真宗は、他人―衆生の罪障を「大悲」で包むはず。狙いは的中し、住職は黙り込んだ。

 所有者が変わった土地は、40坪ほどの空き農地。自宅の真下にあり、駐車場のほか、町からムラへやってくるクルマの方向転換に使われている。持ち主は他県に居たが、20年ほど前、夫を亡くした新興宗教の信者の老女がムラの友人宅を訪れた際、草刈りと引き替えにタダで使わせてもらうことに。

 途中、老女は死去、10年ほど前、ムラに顔を見せた子息に事情を説明、引き続き使うことに快諾を得た。が、昨年、空き地の所有者は別の土地改良の業者に変わった。当然、空き農地は利用できなくなる。

 住職を訪ねたのは、その情報のほか、業者が太陽光発電を建設するらしい、との風聞を伝えるため。住職の反応は予想に反し、全住民に関わる発電所の建設ではなく、空き農地に集中した。

 「律儀ねぇ」

 横に立っていた坊守が小さく漏らした。

 「太陽光発電のことでお邪魔したわけですから」

 「法律に基づいてやるんなら、どうしようもない」

 住職は吐き捨てた。

 この間、10分足らず。

 ここには、ここのやり方がある。またか。その習俗は伝統として大切にしたいが、それは、過ちを正当化する理由にはなるまい。ここは、日本なのだ。日本の法律が適用される。自分を中心に、半径1㍍から外の世界には無関心。自分の頭の中にあることが世界の全てという思い込みにがんじがらめ。この国の21世紀の現実がある。

 「失礼しました」

 深く叩頭し、踵を返した。

 この場合、住職の言う「習慣」は、「慣習」と言い表すべきでは。参道を下りながら、そう思った。彼は有名私大の出身。

 翌日から駐車を別の場所に移した。ひと月ほど経ち、新名義人に出合った。事情を説明すると、眼を光らせた。 

 「そ―かいな。けど、そんなこと打ち明ける人、滅多におらんで。どーぞ今まで通りに使てんか」。

 

               不参加者を公表

 自治会に加入して3回目の寄り合い。組単位なので出席者は7人。男女半分ずつ。平均年齢70前後か。テーマは、1週間前の年に1度のムラの旅行報告。会計報告が終わると、色白の組長が手元の紙切れに厳しい視線を落とし、参加しなかった住民の名を読み上げた。

6人いた。

 ゛新人゛なのを弁えず、質した。詰り口調だったかもしれない。 

 「名前を公表するに当たって、本人の了解を得ているのですか」

「いや、得てへん」

「人権侵害ですよ。それは。そんなこと町でやったら大問題になりますよ。やめたらどうですか」

「そうは言うても、ずっとやってきとるし。公表せんことには…」

 それがどうした。なぜ、そんなことを言うのか。そんな思いが溢れていた。

 全員、石像のように押し黙っている。同席している会長が怖いのだ。専制君主として君臨し、だれも逆らえないらしいことを噂に聞いていた。「ここは、日本なのだ」。舌の先で躍った言葉を吐き出せなかった。賛否で勝ち目がなかったからだ。

 1時間を超える寄合が終わり、闇の戸外へ出た。耳元で男の声が呻いた。

 「よう言うてくれた。あんたの言う通りや」

 「それなら、なんで黙っていたのですか」

 「そんなこと言うたら、ムラにおれんようになるがな」

               

              感想を伝えるべき

 食べ物をもらい、本を借りたら、必ずその感想を相手に伝えねばならない。いずれもカラダとココロの栄養源(エネルギー)なのだから。他のものとは質が違うのだ。それを語り合うことで、互いに気付き、教えられ、世界は広がり、深まる。

 細やかなさつまいも農園を手掛けている。大半は子ども食堂に届けるが、一部は知人や数人の村人に分つ。が、受け取り時には型どおりの礼を言うが、後はなしのつぶて。道で出会っても素知らぬ顔。

 たった1つの例外が。数年前、ある女性に干し柿を贈った。3日目の夜、電話が鳴った。「なんて美味しいの。売れるわよ」。女性の声が弾んだ。柿の産地、作り方のノウハウなど、熱心に訊かれ、年甲斐もなくウキウキ。「至誠にして動かざるは、未だこれ非ざるなり」。吉田松陰が大切にした古代中国の哲人の至言を想う。

 

              子どものような大人

 予想を超えるスピードで進む少子・高齢化。この国の生き死にに関わる問題だが、もう1つ見過ごせないのは、大人の幼児化。「中2おとな」と揶揄されているが、子どものように幼い大人が激増している。

 イモ堀りに3組の家族を別々に招待した。いずれも、中年の両親と小・中学生の子どもたち。初体験で、静かな山里に歓声を響かせ、楽しそうに一時を過ごした。

 帰り際、親は軽く腰を折り、謝意を表したが、子どもたちは振り向きもせず、無言でさっさとクルマに乗り込んだ。親は何も言わない。走り去るクルマの後ろ姿を見送りながら、半ば茫然とした。

 子どもに責任はあるまい。親がきちんと礼を言わさねば。「おっちゃん、ありがとう」。それだけでいい。「礼節」は日本人の美しい徳目の1つ。なのに親がそれに気付かない。親は、社会人に成長したときの我が子が人間関係で挫折、苦しむことを想像しないのだろうか。個人も、国家も、「礼節」を失うことで衰退する。歴史がそれを証す。

 

            「あれでは、あかんわ

 車中、住職は甲高く言い放った。坊守の好意で、古い電動ベッドをもらった。隣町の寺に横たわっていた。中古だが、しっかりした作り。無住寺で、100歳を超えていた老妻も最近亡くなり、処分に思案していたらしい。

 下見のつもりだったが、廃棄するには勿体ない。「ありがとうございます」。快く礼を言った。どっしりと、重く、軽トラへの馴れない積み込み。夫妻に詫びの気持ちが芽生えたが、住職の顔つきが固い。自宅に運び込み、再び謝辞を述べた。

 「これではねぇ…」

 これまで使ってきた折り畳み式の薄いソファーベッドを見て、坊守が洩らした。

軽い驚きが滲んでいた。よくこんなところで寝ているのね。そんな含意があったろう。

翌日、位置決めのため、再び夫妻に来てもらった。住職の顔は強張っている。

 2週間ほど経ったか。別の所用で住職のクルマに同乗した。

 「ベッドの調子はどうかな」

 「お陰さまで快適です。ありがとうございました」

 「あれではあかんわて、女房も言うとった」

 「あれ」とは、薄いソファーベッドを指す。

 坊守の名を借りた自分の本心の吐露なら、はっきり言えばいい。「お前は、あんな惨めなベッドで我慢してきたのか。恵んでやる。ありがたく思え」と。「善人なおもて往生す。況んや、悪人をや」と説いた宗祖親鸞は、如何に思召す。

             「どこにでも、あるがな」

 余命、1週間あるか、ないか。最期の時間を惜しむように輝き続ける薄桃色の光の束、山桜。負けるな、ガンバレ。熱い願いを込めて拍手喝采したくなる 小さな集落に空き巣が入った。神社の社殿屋根の銅板剥がし、さい銭泥棒、室外機の持ち去り…。この数年余、ネラわれているとしか思えないほどの事件続き。こんどは何?と、思い巡らせていた矢先…。

 集落に実家のある町の中年男性と出会い、話しかけた。

 「そんなもん、どこにでもあるがな。そやろ」

 素っ気ない。まるで他人事。

 「あんたは地域人やないから、そんなことが言えるんや」

 図星だったのか。言い返しはない。

 どこにでもあれば「問題」ではないのか。いじめだって、どこにでもある。自殺も絶えない。それでも、自分に関わりなくばソッポを向くのか。どこにあろうと、その問題は、その当事者の固有の問題なのだ。被害者の痛み、悲しみを自己に置き換える想像力がなぜ働ない。

 問題の一般化は、人間の痛苦を概念化し、問題解決の根源的エネルギーを失わせる。

 国家間の戦争は、そのなれの果てではないのか。

 

 

 

 

 

 

 

    ある眼科医への手紙

 あの日、私は貴殿が発狂したのか、と思いました。 イスに腰を下ろすやいなや、ヒステリックな甲高い声が診察室を揺さぶった。「このまま何もせず、放っておいてもそうなるんや」(そうなるとは、失明するということ)。呆気にとられていると、「(手術失敗の確率は)0.01%くらいや」、「(手術の費用は)何百万円もかかるんや」、「このままやと、見えんようになるわ」と、機関銃の如く浴びせかけられました。

 「(治療のことで)何か言ってきた患者さんがいるのですか」と静かに問うと、貴殿は尖った視線でこちらを見据え、黙ったまま。ああ、手術に失敗したのか。私はそう推し量りました。

 3年ほど前、左眼の白内障の手術後、言われるままに3、4 ヵ月に1度のペースで通院していました。やがて右眼の視力も手術が不可避なほどに低下、3月初めに診察室へ足を踏み入れたのでした。

 帰り際、駐車場へ走り寄ってきた看護婦さんが「次は検査に1時間かかりますので」と告げてくれましたが、貴殿の手術への躊躇いを感じていただけに、遠くで何かを呟いているような不自然さを感じ、むくむくと不安が膨らんできました。

 1週間後、別の眼科医で事情を説明、快く受け容れて頂きました。術後の通院も、2週間のうち、4度だけ。「変わったことがあれば、いつでも来院を」と説明されましたが、8カ月たった今も異常なし。

 医師は「する」側として患者を診るが、「される」側の患者も医師を観ています。両者の関係は対等です。ある作家のように「患者は客だ」と、開き直るつもりはありませんが、患者を自らの支配下に置き、いかなる暴言や振る舞いも許される、と信じて疑わない医療精神はとんでもない思い上がりで、必ず破綻します(この2年ほどの間に、2事例あり)。

 医療は無機質な技術による器械の修理ではありません。病を治癒することによって、当人の健全な人生はもとより、その家族、ひいては国家の維持さえも担う一大事なのです。願わくば、こうした「患者学」を深く学ばれ、貴院を訪ねる人に至誠を以て向き合われますように。

 緒方洪庵シュバイツァーが崇敬されるのは、その真実への敬虔でありましょう。かの養老孟司さんが「日本の医学界が犯したきた最大の問題は、試験の点数ばかりにこだわって、『人間』をみてこなかったことだ」と喝破されたことが切実に蘇ってきます。

    神にとっての意味とは

 齢80に達すると、前方に黒い点が見えてくる。1年ごとにそれは、大きくなる。否、正確には近づいてくる。点とは死への入り口である。

 人間は何のために生きているのか。1人の個人には、その目的はあるのだが、死とともに、それは消える。なら、人の出生とは何なのか。死が逃がれられない宿命だとすれば、生まれなければよいのではないか。生まれる以前の「無」と、生まれた後のそれとは、異質なのか。

 50年前、弟のように思っていた10歳下の従弟が交通事故で死んだ。貧しい家の、高3の18歳。就職も内定し、「これで、親の助けになれる」と、喜んでいた。彼の人生は一体、何だったのか。そのことを、毎日のように考えてきた。ただの不運?。そんなバカな。彼だけでない。若くしてこの世を去る夭折についての疑問が拭えない。

 人の生に意味があるのなら、どうしても神の問題にぶつかる。神が人間を作ったのだから、人間の死は神にとって意味があるのだ、と犬養道子さんは言う。それなら、従弟の死は犬死ではないのだ。が、神にとっての「意味」とは、どんな意味なのか。神の国の「栄」のためなのか。人がそのために、どれほど悲しみ、苦しんでも、か。救いとは、それでも神を「父」と信仰することなのか。

 従弟に告げねば。矢も楯もたまらず、3年ぶりに京都へ墓参に。碑に話しかけた。「お前の死は、ムダでなかった。意味があったのだ」。あの世から、どんな反応があったのかは、解らないが。

                2つの死

 先ごろ、大腸と胃の内視鏡検査をした。何十年も健康診断など、したことがない上に、黒便が出たので、一抹の不安があった。大腸は無事に通過したが、胃で引っ掛かった。鼻からスルリと落ちたカメラが胃の中をまさぐっているが、途中でパタリと止まり、医師は隣の看護婦から金属のような細い管を受け取った。胃壁から何かを切り取ったらしいが、痛みはない。

 12、3分の短い時間で終わったが、不安が膨らんだ。ポリープならよいが、胃がんの細胞だったら…。このとき、「死」が現実となった。若いころから、55歳が寿命と思い続け、70歳に達したとき「いつ死んでもいい」と思った。だから、今の歳が信じられない。「その気持ちにウソはない」。本気でそう確信していたつもりだった。が、この検査でその脆さが露わに。「イヤだ」。死が現実に迫ったとき、これまでの死生観がタダの観念に過ぎないことを思い知った。

 後日、主治医から切り取ったのはポリープだったことを告げられた。「何も心配はいらない」と、微笑みかけられたとき、神に出逢った気がした。

自治会を退会ー解明されない神社会計の使途不明金

 

            公開の提案書を却下

 松阪市郊外の神社に400万円の使途不明金があるらしい、との風聞が広がりつつあることを前号で報じたが、筆者は6月6日付で自治会長へ退会届を提出した。

 風聞が耳に入ったのは3月ごろだが、総代など、神社の一部の幹部だけが情報を占有するのは疑心を広げるだけで、速やかに全容を解明し、結果を全ての氏子に報告すべき義務があるのではないか、との提案書を5月に自治会長(神社総代)へ提出したものの、「公開すれば、地域の雰囲気がおかしくなる」(自治会長)として、却下された。

 自治会の退会は、提案を受け入れないー自己否定された組織に属し続けることは、精神の統一性に矛盾する、との判断による。自民党の裏金問題と同質で、このまま闇に葬ることは、現代社会の現実に照らしてもあり得ない。この種のスキャンダルは、必ずバレる。