新うきさと通信 

三重県の山里から

    またしても、頭の良いアホ

                「賢い」とは別

 またしても「頭の良いアホ」が満天下に恥をさらした。安倍政権の目論見から定年延長で検事総長の座に上り詰めるはずだったのに、賭けマージャンをやらかして辞任に追い込まれた東京高検の黒川弘務検事長。東大法学部卒だから、「頭が良い」に決まっている。

 ほかにもある。宮城沖の巨大地震を「東北地方でよかった」などと「本音」を吐き、クビになった今村雅弘興大臣、「ハゲー」の秘書への罵声が全国の小さな路地にまで轟き渡った豊田真由子衆院議員、女性記者へのセクハラが週刊誌に素っ破抜かれ、言い訳がましく退任した福田淳一財務省事務次官…etc…いずれも、同じ学歴だ。

 人間のレベルには3種類ある。知能、技能、精神。社会は「評価」で成り立つが、大抵は前の2つで済ませている。が、これらの言動からは、精神のレベルが低いと他の価値をも台無しにすることがわかる。

 「頭が良い」の「頭」とは「受験頭」のことであり、文系の場合だと、実際社会ではそれが額面通りに通用するとは限らない。「高学歴」の怖いところは、彼らがそれによって、人間や社会への深い見識を身に付けている、と思わせるところにある。だが、実際はこの為体(ていたらく)だ。その内面世界は針のアナのように小さく、その外側に宏大な世界が広がっていることなど、想ってもみない。職業病に犯されているのだ。

 人は「精神」の生き物であり、そのレベルは個人、場合によっては国家の命運に関わる。知能や技能に貶められまいとする「精神」を軽んじて歴史に何が起きたか。「頭が良い」と、「賢い」とは別なのだ。