新うきさと通信 

三重県の山里から

 松阪市会議員の新規条例案、またゼロ

                市長提案、すべて原案のまま可決

 令和4年の松阪市議会(臨時総会を含む)の議員による提案率は、前年より0.4%減の7.6%となった。このうち、議員の意欲を示すバロメーターとされる新規条例案は前年同様のゼロ。

 提案数は市長132、議員11(うち改正条例案1)。市長提案の採決結果のうち、原案のまま132、修正可決ゼロ(議会事務局調べ)。全国の自治体の議員提案率は平均で8%。

 全区市長会がまとめた平成29年の議員提出による新規条例案は、人口10万―20万人未満の27の自治体で平均1.2件。三重県では伊勢、名張、鳥羽、員弁、熊野の5市で6件。これ以外の議員による提案は、松阪市を含めゼロ。平成27年は全国ベースで1651件、4,7%。

 市議は本来、条例を提案、制定する権利を持つが、ほとんど行使されておらず、松阪市も例外ではない。議員の自覚や問題意識がいかに乏しいかの現れであろう。

   これでも市民の代弁者か―3議員に失望

  この10年ほどの間に、女性議員AとB、男性議員Cと交流した。濃淡は違うが、そこで分ったことは、議員は市民の世話になることはあっても、その逆は殆どないのではないか、ということだ。先方から求められる世話は、寄付と言う名のカネがつきもので、知人が栽培する野菜を買ってほしい、外国で活動する有志を支援したいので協力してほしい、県議選や知事選を応援してほしい―などのほか、コメや野菜、果物など、こちら側からの食料の自主的な提供もある。

 市民の立場では、当然のことながら「見返り」の期待がある。打算的な下心ではなく、議会の場で、市民として抱えている行政への疑問を質してほしい、と言う、支援を含めた公的な願望だ。1人はそれに応え、広報誌の配布問題で声を挙げたが、的外れなもので、緊張が高まるはずの議場の空気は白けっ放し。事前に何度も説明したのに、問題を自分や所属党の問題として主体的に捉えていない。まるで他人事なのだ。

 後日、別のテーマについても「やります」と、応じたものの、その気になっていないことが感じられ、本心を衝くと「そうです」と、あっさり明かした。補助金のあり方をめぐる問題で、こちらの案内で建物の写真も撮ったのに、紛糾を恐れてか、尻込みしたまま。党の機関紙を1年間購読したが、期限で打ち切ると、それっきり。電話1本してこない。

 もう1人は、目立ちたがり屋で、鼻についた。出会って2、3カ月もすると、メッキが剥がれた。子ども相手の救援活動をしているが、「目に余る慈善事業」と新聞の投書で叩かれた。当初、ライバル議員の妬みではないか、とも思ったが、あながちデタラメでもないことが、その後の行動が示す。

 「ライフワークなのか」との問いに、「そうではない」と、重苦し気に反応。「それでもよいのでは」と、庇う市民もいるが、知名度を上げて自らの議員職を守るためだけなら、何をかいわんやだ。最初の出会いで「10年も前からの知り合いみたい」と、作り笑いを満面に広げ、イヤな予感がしていた。電話は頼みごとがあるときだけしてくる。ゴテゴテ厚化粧した名刺をみれば、その品性が解るだろう。

 もう1人の男性議員もひどい。十数年前、引っ越してきた村にとんでもない無法者がいて、住民は縮み上がっていた。自分の言うことを聞かなければ、面罵して土下座させたり、クルマのガラスを割ったり。何をするか分からない凄味を恐れて村を去った者もいたほど。

 人権の観点から問題解決ができないか。議員に相談したところ、反応が鈍いばかりか、電話をを切る寸前、耳を疑う言葉が漏れてきた。

 「こんなことに関わっていたら、こっちがエライ目に合うわ」。

   とまれ、3議員からは社会の不条理、理不尽への憤り―正義感は微塵も感じられない。選挙のたびに尤もらしい公約をまき散らすが、本気でやる気のない綺麗ごとばかり。期待外れで、失望した。税金で喰うメシはどんな味がするのだろう。