新うきさと通信 

三重県の山里から

 81歳、「意味」との問答―<その1>

 81歳の後半。遺したいものが現れた。若い頃は55歳で死ぬ、と確信していたのだが。本を2冊発刊し、それなりの社会的反響はあったが、これ以外には人に語るほどのことはしてこなかった。誰を幸せにするでもなく、徒な吸収と排泄の繰り返し。メディァでの仕事には、些かの自負がないわけではないが、そんなもの、大したことでない。トラは死んでも皮遺すと、小6のとき、先生から教えられていたのに。

 70歳の世界に足を踏み入れた瞬間、40代で気づいていたものの、実行できずにいたことが頭を擡げた。「意味」である。自分だけウマいものを喰って喜んでいるのはイヌ、ネコと同じ。他人に分け与えれば、それは2倍になる。「意味」が生まれるのだ。もとより、そんなことが目的ではないのだが、ここには孤食にはなかった深い味わいがある。

 尤も、それなら、人数をどんどん増やせばよかろうという、意地悪だが、本質的な問いには答えられないが、それが他者との関わりの中からしか生まれず、人は「無意味」に耐えられない生き物であることは、どうやら真実だ。「そんなことをして、何になる」と、人は屡々「意味」を問うではないか。

              文化古民家の後継者

 遺したいものとは、2軒目に買った築100年以上という古民家だ。自宅にしている1軒目は21年前、知人の古老に案内されて偶然に出会った。敷地50坪、建坪30坪の幽霊屋敷さながらの廃屋で、35万円で手にいれた。いつ仕事が入るか分からない軽貨物運送をしていたのでクギ1本打って引き返したこともあり、何とか住めるようにリフォームするまで3年かかった。電球を取り換えるのも億劫なほどに不器用だったが、お陰で古民家の真価を知った。新築にはない味わいがある。何千万ものローンを組むことのバカらしさを思い知った。3回の新築は何だったのか。

 

  2軒目は自宅から徒歩4分。敷地70坪、建坪30坪のほかに、100坪ほどの空き地(写真上)と茶畑が付く。3桁の値段で売り出し中だったが、図書室とギャラリーを作りたい、と「志」を打ち明けると、2桁に大幅値下げしてくれた。元小学校の校長で、「文化」への理解があったのであろう。この恩義は決して忘れまい。地元紙で紹介された。

 来春で3年になるが、自分の死後の後継者が欲しい。誠実で、文化に深い関心のある人はおられないだろうか。2年前から探しているが、「候補者」さえ見つからない。財産は全て無償で移譲する。法人化して公共財にしてもらえればありがたい。

 (関心のある方は、松阪市柚原町30-3、大窪興亜までご連絡ください。090-1471-4941)

         ウクライナから避難の父親と逢えることに

 ロシアの侵攻で四日市に避難してきたウクライナの男性と22日に逢えることとなった。この理不尽な犠牲を黙視できないと、春に200坪ほどの農園を作り、秋になって地元紙を通じサツマイモの提供を呼び掛けた。

 三重県には以前からの在留者が12人。避難者は3人で、うち2人は日本を出国、残るは1人。子どもを頼って身を寄せた70代の父親らしい。曲折を経て、四日市市役所が橋渡しをしてくれた。ダメ元で用件を電話すると、「分りました」という男性職員の闊達な声が弾け、今時の官吏とは思えないほど、とんとん拍子にコトは運ばれた。

 当初、在留者が1人いるという情報を得ていて、市役所に連絡を懇願したが、「そういうことはできません」と、女性職員は事務的に反応した。12人にネットワークがあれば、四日市に伝わるのではないか。そんな期待からであった。行政はこんなときにこそ、市民の要望に熱く応えるべきではないのか。ただ、以前からの在留者だと、個人情報の漏洩問題が起きる恐れがあり、行政としても慎重にならざるを得ない事情もあるようだ。