新うきさと通信 

三重県の山里から

     「お若いですねぇ」

                少しも嬉しくない

 古民家のトタン屋根を塗り替えた話をかかりつけの40歳前後の医師にしたら、「お若いですねぇ」と感心された。世辞でないことは表情で分る。だが……。

 遠藤周作の「勇気の出る本」(昭和51年、毎日新聞社刊)に、同じようなことが書かれているのに出くわした。いわく「お若く見えますネ、と言われたら、年をとったナ、と言われていると思え」。ただし、アメリカの随筆家の言葉らしく、遠藤さんはあまり好きでないという。

 年下の者が年寄りに向かって

「血色がいいですね」

「お元気そのものですな」

「お若く見えますね」

と言う時は、好意を含んだ発言であるという。

 「そういう時,ニコッとする爺さまと、『あ、これは俺が年をとったなと言う意味だな』と即座に考えるような老人と、我々はどちらを好きになるだろうか。決まっている。嬉しそうに『ニコッ』とする爺さまである。若い者の好意を素直にとり、素直にうけてくれるからだ」…「一方、その言葉を聞くやいなや、『これは、俺が年をとったナという意味だな』と、パッと考えるような老人は頭はまだ鈍っていないかもしれぬが、修養が足りないなと感じさせる。つまり、相応の心のゆたかさ、寛大さにどこか欠けているのだ」と、分析している。

 だが、これは自身がまだ若いころ(50代)の感想で、晩年(享年73)ならどうだったか。いやな顔をするかしないかは、たしかに寛大さに関わるにしても、その直前・直後には「年をとったな」と思うのではないか。否、体験に照らして「思う」と断言できる。そうでないなら、遠藤さんも書いているように、その人は「鈍い」のだ。

 この「鈍さ」は、他のあらゆる領域でもそうであり、それこそ、他人に迷惑をかけても平気でいるという最もイヤな人間の典型となる。「年をとったな」と受け取るのは、ひねくれでもなんでもない。当然で健全な反応なのであり、精神に「老い」がなく、まだまだ「若い」からにほかならない。安っぽい「激励」や「感心」が年配者を傷つけることがあることを若い人は知っておいた方がよい。