新うきさと通信 

三重県の山里から

    またしても、頭の良いアホ

                「賢い」とは別

 またしても「頭の良いアホ」が満天下に恥をさらした。安倍政権の目論見から定年延長で検事総長の座に上り詰めるはずだったのに、賭けマージャンをやらかして辞任に追い込まれた東京高検の黒川弘務検事長。東大法学部卒だから、「頭が良い」に決まっている。

 ほかにもある。宮城沖の巨大地震を「東北地方でよかった」などと「本音」を吐き、クビになった今村雅弘興大臣、「ハゲー」の秘書への罵声が全国の小さな路地にまで轟き渡った豊田真由子衆院議員、女性記者へのセクハラが週刊誌に素っ破抜かれ、言い訳がましく退任した福田淳一財務省事務次官…etc…いずれも、同じ学歴だ。

 人間のレベルには3種類ある。知能、技能、精神。社会は「評価」で成り立つが、大抵は前の2つで済ませている。が、これらの言動からは、精神のレベルが低いと他の価値をも台無しにすることがわかる。

 「頭が良い」の「頭」とは「受験頭」のことであり、文系の場合だと、実際社会ではそれが額面通りに通用するとは限らない。「高学歴」の怖いところは、彼らがそれによって、人間や社会への深い見識を身に付けている、と思わせるところにある。だが、実際はこの為体(ていたらく)だ。その内面世界は針のアナのように小さく、その外側に宏大な世界が広がっていることなど、想ってもみない。職業病に犯されているのだ。

 人は「精神」の生き物であり、そのレベルは個人、場合によっては国家の命運に関わる。知能や技能に貶められまいとする「精神」を軽んじて歴史に何が起きたか。「頭が良い」と、「賢い」とは別なのだ。

 

    今できることは、今やろう

              かかりつけの医師が急死

 かかりつけの医師が急死した。ガンだったらしい。ひと月ほど前、いつものように窓口で診察券を差し出すと、看護師が「急に来られなくなりました」と、医師の不在を告げた。なぜ?と問うと、「わかりません」と、消え入りそうな声で俯き、厚いボール紙を取り出した。「休診」から始まる短文の最後に「他の医療機関で受診してください」とある。

   2、3年前にも同じことがあり、はっきりしない看護師の態度に異議を申し立てた。「事情は詮索しませんが、患者には患者の立場があります。3カ月かかるのか、半年すればメドが立つのか。大まかな時期を示してもらわないと、私たちはどうすればいいのかわかりません。場合によっては、通院先を変えるかもしれません」。1週間ほどして、代わりの医師が週に2回ほど登院、2カ月ほどで旧に復した。

 今回は、休診と他の医療機関とがセットになった医師の言葉が示されていて、前回より、深刻な事情があることは察せられた。いつもは2週間分なのに、この日は4週間分のクスリを看護師から手渡された。

 「急死」の思いは、最後の診察時の様子が普段通りであったからだ。今にして想えば、あの時、すでに病膏肓であったろう。粛々と血圧を測り、採血を済ませ、血糖値を告げた。どこにも「異常」はなく、気取られまい、とする不自然感は微塵もなかった。 

 齢59だったという。村には10人ほどの患者がいて、ショックは露わだ。「急死」の驚きと、「次」の医院への迷いがない交ぜになっている。「通い慣れたところは安心できます」、「新しい医者がどんな人か心配」。ムベなるかな。カラダをさらけ出してきたのだから。

 それにしても―。きょうできることは、きょうやろう。あすに、来週に、来月に、来年に…と、先延ばしすることの愚かしさ。旨いものは、いますぐ喰おう、行きたいところはには、いますぐ行こう、会いたい人には、いますぐ会おう。時間のうち、あるのは過去と現在だけ。「未来―あす」など、ありはしない。それは、単に頭の中の想像物にすぎない。まだまだ若いこの医師は、その過ちがもたらす生―時間の空費を「死」をもって戒めてくれた。

 

   「私だったら、見届けます」

             泣いて馬謖を…破廉恥な養蜂

「私だったら、消滅するまで見届けます」―。夜、10時前。携帯に入ったショート・メールの返信。

 去年から始めた養蜂。無関心の、まだその外側に居たのに、フッと頭の隅をかすめた。「プレゼントすれば、喜んでもらえるのでは」。知人の紹介で知った養蜂歴7年という男性(ハチ博士)の厚意で巣箱を自宅ベランダ横に据えた。ハチなど、いくらでもいる、とタカを括っていた。2年、3年、待てど、暮らせど、姿を見せず、放り出す人も珍しくない、と教えられてはいたが。

 一月足らず経った。京都の墓参りを終え、家路を急いだ夕刻、自宅の直前にさしかかると、真向かいの男性が喜色満面で翼のごとく両手を躍らせている。  

「どうかしましたか」

「アレっ!」

 かざした指先に、あの巣箱。

「入ったよ!」

 男性の金属質の声が大気を裂いた。

「?」

「ハチの大群が来たんですよ。ゴーという音がしたんで見上げるとさ、大きな黒い塊が箱の上でぐるぐる旋回して…アッと言う間に箱の中へ吸い込まれましたよ。ビデオに撮っておきましたよ」

 歳甲斐もあらばこそ、飛び上がった。クルマを駐車場に停め、石垣の斜面を足早に駆け上がる。土足のまま、木製のベランダを踏み締め、箱へ向かってまっしぐら。巣門の周りで小さな、黒い虫が羽音を響かせ、はち切れそうに飛び回っている。夢か、幻か。

 5月中旬。年に1度しかない分蜂。女王バチが配下の働きバチを従え、古巣から新しい巣を求めて飛び立つ。巣別れだ。千切れ雲の漂う山の彼方から飛来する数千、多ければその2倍、3倍ものミツバチ。養蜂最大のイベントに縁がなかったのは残念、無念と地団太踏むも、こればかりは運。

 それからというもの、1日も欠かさず箱を観る。ワクワクと胸を弾ませ、眼を輝かせ。7㍉の巣門を潜り抜け、天空へ飛び立つ夥しい小さな命。花蜜を吸い取り、花粉を抱き、妊婦のごとく腹を膨らませて再び巣門へ。中で待ちわびる子と女王バチ。花粉とローヤルゼリーを与え続け、ひたすら子孫を殖やす。その生態が、何気ないものではなく、はっきりした意思に基づくものであることが分ってくる。

 生きるか、死ぬか、の分かれ目とされる寒気のピーク2月を無事に乗り越え、ホッと胸を撫でおろした3月、指南役のハチ博士に箱の内検写真を見てもらう。「Ok、大丈夫」。太鼓判を押してもらい、勇躍、分蜂期の4月を迎えようとしていた。

 1週間後、異変が起きた。ハチの姿が見えない。蜜採りに働き蜂が飛び回っているはずなのに、シンとしている。ㇷと、箱の台の下を見る。夥しい死骸の群れ。否,塊。撮ったデジカメ写真を見たハチ博士。「たまにある。蜜源が少ないのか。女王バチの生殖能力が弱いのか…」。

 それでも、残りの10匹ほどが元気に巣門を出入り、このまま放置すれば、年に1度切りの分蜂期を逃がしてしまう。月末までに全滅しなければ、泣いて馬謖を斬るしか…。メールで相談したハチ博士から意想外の返信。「私なら、最期の1匹が死ぬまで見届けます」。箱を空っぽにし、ゼロからのスタートを思い描いていた。脳天が叩かれた。

 すぐさま、電話。

「人間は、彼らの大切な蜜を掠め取っています。せめて、自然死するまでは生かしてやりたいと…私たちの都合だけで彼らを殺すことはできません」

 返す言葉はない。蜜欲しさに始めたとは言え、我が子より可愛いと思ったことさえあったはずなのに、用がなければポイ捨てとは―。養蜂の資格どころか、何たる浅慮、破廉恥。猛省の果てに、そのまま待ち切ることに。4月11日、最期の1匹が巣門から天空へ翔んだ。我が命の蜜を採るためであろう。

 

 

 

 

 

 

     議員の新規提案、またゼロ

            松阪市議会、令和元年度の審議を閉会 

 松阪市議会は3月24日、令和元年度の議会審議(令和元年6月ー令和2年2月)を終えたが、提案された議案総数は127件で、うち市長からが114、議員からが13(発議)となった(議会事務局調べ)。

 市長提案の採決の結果は、原案のまま105、修正可決0、同意9、承認4、,認定4、賛成5。議員提案のうち、改正条例案1、意見書6。新規条例案はゼロ。

 提案が多い2月議会に限ると、市長提案54で、全て原案のまま可決。議員提案は改正条例案、意見書、新規のいずれもゼロで、年間での13件も、議長交代の際などに出される「発議」が大半だった。

 同市議会は6月から翌年2月まで、4回開かれる。

             少ない「修正可決」も問題

 (解説)新規条例案の提案は、市議会議員の活動ぶりを見る上での重要な指標。地方自治の研究で知られ、自身も自治体の議員だった中央大の高橋亮平特任教授の調べでは、平成24年度の全国の1自治体当たりの議員提案率は9%。うち、新規の条例案は23.6%。年度は違うが、松阪市は当時から全国の最低レベル。

 同教授は、修正可決も重視すべきという。松阪市はゼロだが、全国平均でも0.3%しかなく、「いいものはいいのだが、99.1%がそのまま原案可決している状況では、議会の行政チェックとはどういうものか、考えざるを得ない」と、議員の主体性に疑問を投げかけている。

 議員の活動は一般市民には見えにくいが、市議会が地域発展のための機関であるからには、座して執行部からの提案を待つ、という受け身の姿勢から、自らも制度や構想を創るという能動的な姿勢に転換すべきではないか、との声も聞かれる。

 こうした中で、16日には総務企画委員会が政策討論会を開き、中山間地への移住促進策について協議するなど、新たな「行動」を始めた。

 

   「宗教施設もイベントに配慮を」

f:id:okubo1860:20200319225019j:plain


              夕刊三重に「コロナ」で投稿

  コロナウイルスが蔓延する中、新うきさと通信発行人の大窪興亜が松阪市の地域紙・夕刊三重に、宗教施設のイベント開催について投書した(写真上)。18日付。以下は全文。

  新型コロナウイルスが標高330㍍の山里にまで舞い上がり(?)、村の寺が20日に予定していた恒例の「永代経」と彼岸の供養を中止した。危機を予見した英断だが、気になるのは市街地にある宗教施設の動きだ。首相が非常事態宣言をすれば、私権の制限ができるインフルエンザ改正特措法とは関わりなく、それらの指導者にはイベントなどへの見識ある配慮をお願いしたい。

 思想・信条はもとより、移動・集会の自由は、憲法で保障された基本的人権だが、信仰が行動に「外化」されると、本来の意図を超えた別の事象が起きることがある。「コロナなどうつらない、怖くない」と、自分たちが信じ込むのは勝手だが、そこで感染された信者が散会後に人と出会ったらどうなるかは、ある国が例証済みである。

 信仰という内省は、他人の眼で自分を見るという、冷静で客観的なもう1つの作業によって、正しく深化するのではあるまいか。「こんなはずではなかった」という悔やみは、ただのエゴにすぎない。集団の独り善がりははた迷惑で、怖い。マスクは「自分」から「他人」への感染を防ぐために開発された、というのは余談ではなく、深い真理なのだ。

 

 

 

  山上に舞い上がる?コロナウイルス

f:id:okubo1860:20200314130427j:plain 
 

                「永代経」が中止

 コロナウイルスの「猛威」が標高330㍍の山上にまで舞い上がり、2つの行事が影響を受けている。1つは柚原町にある寺(浄土真宗東本願寺派)が20日に予定していた恒例の「永代経」と彼岸会法要を中止したこと(写真上は掲示)。永代経は故人の供養のため、忌日や彼岸などに寺院で永久にする読経で、多くの檀家・信徒が集う。

             自治会の総会も視野に

 もう1つは、29日に予定されている自治会の総会が中止か無期延期される可能性が出てきたこと。受付でマスクやアルコールを用意し、感染防止の対策を整えることにしているが、会場が広いとは言えず、ものの20人も入れば密室のような圧迫感がある。

 委任状による欠席は例年より増えるとみられ、総会成立の条件である2分の1の出席も危うい。住民の間では「ムリは禁物。落ち着いてからやればよい」、「万が一のことを考えると怖い。どうしても、という理由はないのでは」と、慎重な声が強い。

 当地は山里という地勢からか、市街地での出来事を身近に捉えない傾きがあり、この2ヵ月間もいつも通りで、「コロナなど、どこ吹く風」といった雰囲気だったが、三重県でも感染者が増え始めたことや、国会でインフルエンザ特措法の改正案が可決されたことなどから、ようやく「その気」になり始めている。

    「市・県は休校や受験延期を」

            松阪の進学塾が新型肺炎で異例のメール

 新型肺炎が全国へ広がりを見せつつある中、松阪市内で中高生を対象に進学指導をしている青木塾(青木敏朗塾長)が感染予防の見地から、休校や受験延期などの思い切った対応を求めるメールを市と県へ発信した。危機を予見し、私的な教育機関が行政にこうした訴えかけをするのは異例。

 全文は次の通り。   

 私どもは松阪市内で主に中学生・高校生を対象とした塾を経営しております。すでに新型肺炎の流行を見据え、先週より塾の入り口に消毒用のアルコールを置き、教室内には次亜塩素酸水のミスト発生器を置いて、常時、稼働させ、さらに机間巡視の際にはドアノブや机をアルコール消毒しながら回っております。

 また、卒業生の医師の助言を受け、生徒たちには17日から通塾時にマスクの着用を義務付け(マスクをしていない生徒はいません)、帰宅時に自宅で手洗いやうがいを励行するように指導しています。実際のところ、検疫官や救急隊員、医師等の専門家ですら感染している現状を考えると、これでも感染を防げる自信はありません。

 ご存知のように、いまはちょうど受験期にあたります。当塾でも首都圏など遠方の大学の受験のために1月末から2月初めに公共交通機関を利用した生徒の移動がありました。こういう実態をみると、すでに小さな地方都市の松阪でさえ感染者が出ていてもおかしくないと考えます。

 先週末の授業の際、子どもたちに学校で感染予防のために消毒や注意喚起などは行なわれているのか尋ねたところ、残念ながら、私が尋ねた子どもたちが通う全ての学校で口頭による注意喚起すら行なわれていない、とのことでした。

 このままでは、学校が感染の温床になる可能性があります。迅速な休校措置はもとより、受験の延期等、思い切った対応をしなければ、学校内に感染を広げ、さらにそこに通う子どもたちの家庭に感染を広げる可能性が大きいと考えます。 

 休校措置や受験の延期等の通達がなければ、私たちのような私的教育機関が個々に判断して休塾措置をとることはとても難しく、苦慮しています。学校等、教育機関(塾も含め)に対する市と県の対応についてのお考えを、ぜひ、伺いたく思います。