新うきさと通信 

三重県の山里から

   「私だったら、見届けます」

             泣いて馬謖を…破廉恥な養蜂

「私だったら、消滅するまで見届けます」―。夜、10時前。携帯に入ったショート・メールの返信。

 去年から始めた養蜂。無関心の、まだその外側に居たのに、フッと頭の隅をかすめた。「プレゼントすれば、喜んでもらえるのでは」。知人の紹介で知った養蜂歴7年という男性(ハチ博士)の厚意で巣箱を自宅ベランダ横に据えた。ハチなど、いくらでもいる、とタカを括っていた。2年、3年、待てど、暮らせど、姿を見せず、放り出す人も珍しくない、と教えられてはいたが。

 一月足らず経った。京都の墓参りを終え、家路を急いだ夕刻、自宅の直前にさしかかると、真向かいの男性が喜色満面で翼のごとく両手を躍らせている。  

「どうかしましたか」

「アレっ!」

 かざした指先に、あの巣箱。

「入ったよ!」

 男性の金属質の声が大気を裂いた。

「?」

「ハチの大群が来たんですよ。ゴーという音がしたんで見上げるとさ、大きな黒い塊が箱の上でぐるぐる旋回して…アッと言う間に箱の中へ吸い込まれましたよ。ビデオに撮っておきましたよ」

 歳甲斐もあらばこそ、飛び上がった。クルマを駐車場に停め、石垣の斜面を足早に駆け上がる。土足のまま、木製のベランダを踏み締め、箱へ向かってまっしぐら。巣門の周りで小さな、黒い虫が羽音を響かせ、はち切れそうに飛び回っている。夢か、幻か。

 5月中旬。年に1度しかない分蜂。女王バチが配下の働きバチを従え、古巣から新しい巣を求めて飛び立つ。巣別れだ。千切れ雲の漂う山の彼方から飛来する数千、多ければその2倍、3倍ものミツバチ。養蜂最大のイベントに縁がなかったのは残念、無念と地団太踏むも、こればかりは運。

 それからというもの、1日も欠かさず箱を観る。ワクワクと胸を弾ませ、眼を輝かせ。7㍉の巣門を潜り抜け、天空へ飛び立つ夥しい小さな命。花蜜を吸い取り、花粉を抱き、妊婦のごとく腹を膨らませて再び巣門へ。中で待ちわびる子と女王バチ。花粉とローヤルゼリーを与え続け、ひたすら子孫を殖やす。その生態が、何気ないものではなく、はっきりした意思に基づくものであることが分ってくる。

 生きるか、死ぬか、の分かれ目とされる寒気のピーク2月を無事に乗り越え、ホッと胸を撫でおろした3月、指南役のハチ博士に箱の内検写真を見てもらう。「Ok、大丈夫」。太鼓判を押してもらい、勇躍、分蜂期の4月を迎えようとしていた。

 1週間後、異変が起きた。ハチの姿が見えない。蜜採りに働き蜂が飛び回っているはずなのに、シンとしている。ㇷと、箱の台の下を見る。夥しい死骸の群れ。否,塊。撮ったデジカメ写真を見たハチ博士。「たまにある。蜜源が少ないのか。女王バチの生殖能力が弱いのか…」。

 それでも、残りの10匹ほどが元気に巣門を出入り、このまま放置すれば、年に1度切りの分蜂期を逃がしてしまう。月末までに全滅しなければ、泣いて馬謖を斬るしか…。メールで相談したハチ博士から意想外の返信。「私なら、最期の1匹が死ぬまで見届けます」。箱を空っぽにし、ゼロからのスタートを思い描いていた。脳天が叩かれた。

 すぐさま、電話。

「人間は、彼らの大切な蜜を掠め取っています。せめて、自然死するまでは生かしてやりたいと…私たちの都合だけで彼らを殺すことはできません」

 返す言葉はない。蜜欲しさに始めたとは言え、我が子より可愛いと思ったことさえあったはずなのに、用がなければポイ捨てとは―。養蜂の資格どころか、何たる浅慮、破廉恥。猛省の果てに、そのまま待ち切ることに。4月11日、最期の1匹が巣門から天空へ翔んだ。我が命の蜜を採るためであろう。