新うきさと通信 

三重県の山里から

   「宗教施設もイベントに配慮を」

f:id:okubo1860:20200319225019j:plain


              夕刊三重に「コロナ」で投稿

  コロナウイルスが蔓延する中、新うきさと通信発行人の大窪興亜が松阪市の地域紙・夕刊三重に、宗教施設のイベント開催について投書した(写真上)。18日付。以下は全文。

  新型コロナウイルスが標高330㍍の山里にまで舞い上がり(?)、村の寺が20日に予定していた恒例の「永代経」と彼岸の供養を中止した。危機を予見した英断だが、気になるのは市街地にある宗教施設の動きだ。首相が非常事態宣言をすれば、私権の制限ができるインフルエンザ改正特措法とは関わりなく、それらの指導者にはイベントなどへの見識ある配慮をお願いしたい。

 思想・信条はもとより、移動・集会の自由は、憲法で保障された基本的人権だが、信仰が行動に「外化」されると、本来の意図を超えた別の事象が起きることがある。「コロナなどうつらない、怖くない」と、自分たちが信じ込むのは勝手だが、そこで感染された信者が散会後に人と出会ったらどうなるかは、ある国が例証済みである。

 信仰という内省は、他人の眼で自分を見るという、冷静で客観的なもう1つの作業によって、正しく深化するのではあるまいか。「こんなはずではなかった」という悔やみは、ただのエゴにすぎない。集団の独り善がりははた迷惑で、怖い。マスクは「自分」から「他人」への感染を防ぐために開発された、というのは余談ではなく、深い真理なのだ。