「移さないため」、「移されないため」
中国発のコロナウイルスの猛威。わが町のスーパーでも客、店員を問わずマスクの白ずくめだが、思うところあってレジの女性に訊ねた。
「マスクは何のためにするの?」
「人に移さないためです」
「へぇ。ボクは自分が人から移されないためにするんだよ。つまり、防御サ」
意地悪をしたわけではない。ずっと前から、そう信じていた。
「へぇ」
レジさんは意外そうに、美しい瞳をきら星のごとく輝かせた。(本当に美しい)。
たしかに、「人に移さないため」というのがマスクの本来の開発目的だったらしい。
崇高な精神にはひれ伏すしかないが、それも、時と所でひっくり返りはしないか。この場合、「人」とは「客」のことであろう。店にとって「客」は「神様」だから、「移さない」ことを最優先するのだろうが、翻って、自分がホームセンターなどで客の立場なら、「移される」ことを警戒するのでは。
もっと言えば、「人混みの中へ入る」ときはどうか。紛うかたなく「移されない」ためであろう。この場合、「感染力」を基準にすると、「移さないため」という理屈は、何やらなじみにくい。「どちらにも配慮して」というのは、結果論であろう。善し悪しの問題ではない。
ついでに訊いた。
「マスクは会社の命令?」
「任意という名の…強制です…」