新うきさと通信 

三重県の山里から

      預金通帳が見つかる

         自宅の本棚から…逆に深まるナゾ

 紛失で紛糾していた柚原町自治会(千賀博文会長、32世帯) の預金通帳が22日午前、監事の大窪興亜宅の本棚から見つかった(これにより、21日付けで掲載した「会計調査の議事録」は全文削除した)。「うきさと文庫」への本の移し替えをしている途中、本の間からこぼれ落ちた。

 問題は前会計のI氏が昨秋、大窪が所用で自宅を訪ねた際、「預けた通帳を返してもらっていない」と詰問したことから始まった。大窪は「預かっていない」と否定、11月の会計調査の席上でも応酬があったものの、決着がつかず、I氏夫妻はこの7月、転居した。

 ただ、辻褄の合わない重要なポイントがいくつか残っていて、逆にナゾが深まった、との感触が大窪にはある。整理した上で改めて報じることにする。

 

 「持続可能なコミュニティー」とは?

               草刈り代3万円の弁償を

 カタ、コト。暗闇の中で乾いた音がする。また来たのか。引っ越したものの、運び残した荷物を取りに戻っているのだ。月に2、3回のペースで、もう2月ほど続いている。

  玄関の引き戸を開け、名前を呼んだ。間違いない。真横の石垣の前からノドが潰れそうな声を張り上げた。

 「いつ刈る気ぃや、この草」

 「ハイ、刈ります」

 夫の声。

 「山楽さんの畑をどうした」

 「お返ししました」

 「草を刈り取って、元のきれいな状態にして返す約束になってたんやろ。あんたらが放ったらかすから山楽さんは怒って近くの別の人に3万円で刈り取ってもらったんや。弁償しろ。みっともないマネするな。年寄りいじめするな」

 応答はない。

 翌日、町からの帰途、山楽さんを訪ねた。昨夜、小野川夫妻が謝罪に来たという。が、のっけから、「怒っておられるそうで」と切り出したらしい。

 「こんな謝り方、ありますか。なぁ」

 怒りより、呆れ。

 「お金のことは口にしましたか」

 「いいえ…新しいところで元気にやり直してくださいって、励ましました」

 「そんなこと…このまま許してはいけませんよ」

 「ええ…でも、もうよろしいわ」

 「いけません。そんないい加減なことを言ってるから人をバカにし、世の中を舐めるんです。彼らのためにもなりませんよ…いい加減、という言い方は失礼ですね。山楽さんは優しいのですね」

 老女は薄く嗤った。

 老女の田は当方が仲立ちし、小野川が借り受けた。が、まる2年間、畦や空き地の草は生え放題。コメさえ穫れれば、あとは知ったことか、と言わんばかりのやり口に、老女は怒り,萎れていたことを、後で人伝に知った。地主は借り手の扱い方を観ている。借りたからには何をしても構わない、というものではないのだ。農地を荒らすことは恥であり、引き継いだ先祖への罪なのだ。彼らはその情理を踏み躙っている。似たようなことは、ほかでもやっている。

 夫38、妻42。3年半前、世話になったムラの老女Rの頼みで空き家になっていた隣家を紹介した。家主の意向で家賃はタダ。移住10日目にとんでもないことを明かした。

 「犬がいるのですが…犬は嫌いですか」

 秋田犬2匹、柴犬1匹。ペットならともかく、成犬3匹とは何事。なぜ、事前に打ち明けない。移住を断られるかも、と恐れたことを、「追及」の果てに吐露した。世を欺いた者の、すること、成すことの悪どいこと。その犬も、翌年の秋、虐待で死なせた。この間、畑にヒモで繋いだまま、ただの一度も散歩に連れ出したことはない。後半は食事もロクに与えず、骨に皮を被せたように痩せ細った。

 遠い県外にいる家主がやってくると判るまで、約束した石垣の草刈リを放ったらかす、70㍍の井戸のホースを過って破損、修理してもらった近くの老人に代金を払わない、夜勤に間に合わないのか、故障した軽トラの代わりに貸したバイクの燃料を補充せずに返す、チェーンソーで足を切った夫をクルマに乗せて医院まで走ったのに、一言のあいさつもしない妻、老人のコンバインを無断で売り飛ばし、カネをくすめる…。

 「お年寄りの見守り隊としてやってきました」と、Rには話していたというが、消防団でトラブルを起こし、居づらくなって転居してきたことが、後になって判った。タダの借家も、自治会の役員には「買った」と、ウソで体裁を繕っていたらしい。

 引っ越しの目的は、会員登録しているNPOが買い取った古民家に管理人として入居、耕作放棄地で農業をするため、という。持続可能な住み良いコミュニティを作る、という希望に溢れた美しいNPOの理念を得意気に話した村見学の大学生たちに恥ずかしくないのか。「ここでやってきたことは、どこまでもついて回ることを忘れるな」と、送辞したのだが。

 

 

 

   「草害」も条例で規制を

マムシ、野ネズミ、ムカデ、ケムシ、カメムシ 

 

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            道路に溢れ出し、交通障害も

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           条例での規制を訴え、夕刊三重に投稿

  狂ったように生い茂る雑草の塊が住民の平和な暮らしを脅かし始めている。農作物を食い荒らすシカやイノシシだけでなく、毒・ばい菌をはらむマムシ、野ネズミ、ムカデ、さらには食害性のアオムシ、ケムシ、カメムシなどが繁殖、一部では「これは草害。条例で規制するしかない」と、行政の「英断」を期待する声が挙がっている。

 特に目立つのは柚原町。県道や旧道沿いの広い空き地にところ狭しと生い茂り、交通障害も。たまりかねた住民が石垣の外から刈り取ったが、すぐ生え変わり、焼け石に水。敷地に入りたくても不在地主の了解がなければ不法侵入にもなりかねない。

 これまでは個人的に電話などで事情を話し、有償で刈り取っていたが、相続などで名義が変わると「敷地内のこと」と、取り合ってもらえない恐れもあり、受話器を取るにも腰が引ける。

 そこで持ち上がっているのが法による規制案。松阪市には「町をきれいにしよう」と言う名の条例があるが、これに「草害」が加われば、地主への説得力も格段に増すのではないか、という。

 市は「現地で解決を」と乗り気薄だが、空き家対策には国の特措法を活用することでそれなりの成果をあげているはず。「住民の声にもっと真剣に耳を傾けて」との声は強まる一方だ。

第二波ではない…再び暴れ出したコロナ

             

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                                                   無責任な「そのうち収まる

 案の定と言うべきか、「自粛」の解除後、またぞろ暴れ出した新型コロナウイルス松阪市の地域紙、夕刊三重(7月13日付)に思うところを投稿した。以下はその全文である。

 収まりかけたかに見えた新型コロナウイルスの感染が再びぶり返しつつあるように見える。政府は二度目に非常事態宣言の発出をためらっているが、これは「第二波」の前触れであり、グズグズしていると、取り返しがつかなくなる、との警告がかまびすしい。が、両者の判断は当否、相半ばする。

 東京都で二百人、全国で三百人を超えたのは、確かに「急増」なのだが、病態の実相は「第一波」の続きではないか。ここしばらくの低位安定は、人為的な「自粛」によるもので、ウイルスの活動が自然に鎮静化したわけではない。「自粛」を解除した途端に感染が広がったことがその証だ。

 一波か、二波か。どちらを採るにせよ、対策に変わりはないはずだが、それによって人間側の腰の据え方が違ってくる。「一波」に立てば、「そのうち収まる」という根拠のない、幼稚で無責任な楽観論は姿を消すのではないか。心構えは実践(暮らしの在り方)の内容を変えてしまう。

標高330㍍の風景…「医師の診断書を」

            石垣から見下ろす3匹の犬

 住み家を紹介した隣家の住人が10日ほど後に「実は、犬がいるのですが…」と、低い声で打ち明けた。秋田犬2匹、柴犬1匹。そんな大事なこと、なぜ前もって言わない。正直に告白すれば移住を断られる。そんな計算があったことを後日認めた。

 犬は1週間後、自宅裏の空き地に放し飼いされた。納屋へ行くたびに、高さ2㍍ほどの石垣から見下ろされ、薄気味悪いことこの上ない。32日間の我慢の末、談判して別の農地へ移させた。知人曰く、「私なら1週間でブチ切れる」。

 欺かれたことへの不信感が拭えぬまま3年、今度は自治会の会計問題で不祥事が起き、他の用件のついでに他県にいる家主に改めて電話で告げた(前年には直に話してある)。が、「ストレスが溜まったのなら、それを証明する医師の診断書がいります」。耳を疑い、もう1度質す。「そうです。証明です」。犬でなく、ヘビならどうか。隣家の庭の木の枝が自宅の庭に垂れ下がった。よくあるケースだが、抗議するなら「不快診断書」を添えよ、と言う理屈になる。

 世の中には、人に迷惑をかけないための経験と想像力に裏打ちされた「常識」や「通念」がある。暮らしの中でのもめごとは、これによって裁き、解決を図る。人間が永い歴史の中で培った知恵である。「診断書」は、それでもラチがあかず、訴訟沙汰にもつれ込んだ時だけに必要となるはずだが、「不快」を医学で診断することなど、いかなる名医でもできまい。だからと言って、これを当人の「錯覚」と断じ、相手を「無罪」として放置することが許されるのか、どうか。涙をいくら分析しても、人の悲しみは解らない。

 家主は「規則」や「制度」の中で生きる中央官庁の役人である。住人の移住にあたっては、世話になった人に頼まれて仲立ちし、懇願を快諾してもらった。その点は感謝しているのだが。