新うきさと通信 

三重県の山里から

松阪市郊外の神社に400万円の使途不明金?

        役員は全容解明・公表に難色

 松阪市の郊外にある神社の会計に使途不明金があるらしい、との風聞が広がりつつある。耳にしたのは1カ月ほど前だが、預金通帳を前任者から受け取った役員の間ではもっと早く知られていた模様だ。3月4日付で以下のような提案書を自治会長・総代長に提出した。

 総額400万円の使途不明金があるらしい、との風聞がある。事実なら全容を解明し、全ての氏子に報告する義務がありはしないか。晴朗な会計は、組織の根幹であり、一部の役員による情報の占有は、憶測・疑心の輪を広げるだけでく、集落全体の社会的信認を地に墜とす。折りからの、国民的なスキャンダルに発展した政権与党による裏金疑惑は、教訓とすべき好個の例証では。

           さい銭箱泥棒や銅板屋根の盗難も

 同神社を巡っては、さい銭箱泥棒や銅板屋根の盗難など、不名誉な被害が一再ならず、これ以上の現状追認は、更なる「次」を惹起する可能性がある。近隣の2地域でも数年前に類似の不祥事があり、いずれも徹底調査の上、結果が公表、ケリがついている。住民自治協議会でも3年前、私的流用が発覚、監事だった筆者が幹部の反対を押し切って監査に踏み切り、結果を公表、行政側にも報告書を提出した。

 総代長によると、金額は「10年前から急増」していて、「実際にはもっと多い」。私的流用の事実を認めたものの、公表については「(地域の)空気がおかしくなる」との理由で難色を示している。

 

議員定数は8人減らし、20人に―松阪市議会議員 住民協が意見書

       教養、正義感なく、疑わしい資質

 「議員数を減らしてはどうか」と、松阪市住民自治協議会連合会が昨年11月、市議会へ意見書を提出した。「現在の28人から8人減らし、定員20人に」という思い切ったものだが、この10年間、停滞していた問題だけに、ある種の感慨を覚えた。

 根拠は①人口10万人当たりの議員数が12. 38 人の津市と同等にする②市民の負託を受けるのにふさわしい平均得票数を2700票と設定する―などと言う、外的条件の変化に対応したものだが、市民として、さらに付け加えたいのは議員の内実である。ここ数年、必要があって3人の議員と交ってきたが、その出来の悪さに期待を裏切られ続けた。教養がなく、従って社会・地域・行政の不条理への憤りや正義感という、議員であるからには最も基本的で、不可欠の資質が欠落している。

 審議のテーマを選んで議会を傍聴しているが、質問の仕方が弱々しく、論戦もない。「人権に関わる重大なテーマ」と説明しても、的外れな質問をするし、誰かに頼まれたのであろう、市民の暮らしからはほど遠い個人的な事柄を、さも大事そうに口にする。これで、議員としての責務を果たした気になっているとすれば、「税金を返せ」と叫びたくなる。

 議員には、執行部からの提案審議のほかに、市民の切実なナマの声を聞き取り、問題解決に尽力するという責務がある。選挙の時だけやってきて、「ムラおこし、ご苦労さま」と、そんなことはやってもいないのに世辞をまき散らし、何の展望もないくせに「松阪の未来のために」などと、大風呂敷を広げる。住民が陰で笑っているのも知らずに。

         50%未満の投票率なら、無効に

  さらに、問題なのは、投票率と得票数の低さだ。前回の令和3年7月の投票率は43.87%と、有権者の半分以下。1200票台の得票数で当選した議員もいる。有権者が13万人余であることをみれば、こんな選挙は無効にすべきではないか。年齢に関わらず、年間で何百万円もの歳費が転がり込んでくる。

 定員28人、立候補者32人。当選率は…。松阪市のこのところの選挙実体だ。税金でメシを喰うという優雅な暮らしの味を忘れさせ、僅かでも資質を上げるためにも、定員は大幅に減らすべきだ。「地域との関係が薄くなる」との意見も住民協の中にはあるようだが、そんなことはない。もともと、そんな関係はないも同然だったし、少数になった分だけ、議員の感度も高くなるのではないか。やってみる価値は大ありだ。

 

 

 

 

 松阪市会議員の新規条例案、またゼロ

                市長提案、すべて原案のまま可決

 令和4年の松阪市議会(臨時総会を含む)の議員による提案率は、前年より0.4%減の7.6%となった。このうち、議員の意欲を示すバロメーターとされる新規条例案は前年同様のゼロ。

 提案数は市長132、議員11(うち改正条例案1)。市長提案の採決結果のうち、原案のまま132、修正可決ゼロ(議会事務局調べ)。全国の自治体の議員提案率は平均で8%。

 全区市長会がまとめた平成29年の議員提出による新規条例案は、人口10万―20万人未満の27の自治体で平均1.2件。三重県では伊勢、名張、鳥羽、員弁、熊野の5市で6件。これ以外の議員による提案は、松阪市を含めゼロ。平成27年は全国ベースで1651件、4,7%。

 市議は本来、条例を提案、制定する権利を持つが、ほとんど行使されておらず、松阪市も例外ではない。議員の自覚や問題意識がいかに乏しいかの現れであろう。

   これでも市民の代弁者か―3議員に失望

  この10年ほどの間に、女性議員AとB、男性議員Cと交流した。濃淡は違うが、そこで分ったことは、議員は市民の世話になることはあっても、その逆は殆どないのではないか、ということだ。先方から求められる世話は、寄付と言う名のカネがつきもので、知人が栽培する野菜を買ってほしい、外国で活動する有志を支援したいので協力してほしい、県議選や知事選を応援してほしい―などのほか、コメや野菜、果物など、こちら側からの食料の自主的な提供もある。

 市民の立場では、当然のことながら「見返り」の期待がある。打算的な下心ではなく、議会の場で、市民として抱えている行政への疑問を質してほしい、と言う、支援を含めた公的な願望だ。1人はそれに応え、広報誌の配布問題で声を挙げたが、的外れなもので、緊張が高まるはずの議場の空気は白けっ放し。事前に何度も説明したのに、問題を自分や所属党の問題として主体的に捉えていない。まるで他人事なのだ。

 後日、別のテーマについても「やります」と、応じたものの、その気になっていないことが感じられ、本心を衝くと「そうです」と、あっさり明かした。補助金のあり方をめぐる問題で、こちらの案内で建物の写真も撮ったのに、紛糾を恐れてか、尻込みしたまま。党の機関紙を1年間購読したが、期限で打ち切ると、それっきり。電話1本してこない。

 もう1人は、目立ちたがり屋で、鼻についた。出会って2、3カ月もすると、メッキが剥がれた。子ども相手の救援活動をしているが、「目に余る慈善事業」と新聞の投書で叩かれた。当初、ライバル議員の妬みではないか、とも思ったが、あながちデタラメでもないことが、その後の行動が示す。

 「ライフワークなのか」との問いに、「そうではない」と、重苦し気に反応。「それでもよいのでは」と、庇う市民もいるが、知名度を上げて自らの議員職を守るためだけなら、何をかいわんやだ。最初の出会いで「10年も前からの知り合いみたい」と、作り笑いを満面に広げ、イヤな予感がしていた。電話は頼みごとがあるときだけしてくる。ゴテゴテ厚化粧した名刺をみれば、その品性が解るだろう。

 もう1人の男性議員もひどい。十数年前、引っ越してきた村にとんでもない無法者がいて、住民は縮み上がっていた。自分の言うことを聞かなければ、面罵して土下座させたり、クルマのガラスを割ったり。何をするか分からない凄味を恐れて村を去った者もいたほど。

 人権の観点から問題解決ができないか。議員に相談したところ、反応が鈍いばかりか、電話をを切る寸前、耳を疑う言葉が漏れてきた。

 「こんなことに関わっていたら、こっちがエライ目に合うわ」。

   とまれ、3議員からは社会の不条理、理不尽への憤り―正義感は微塵も感じられない。選挙のたびに尤もらしい公約をまき散らすが、本気でやる気のない綺麗ごとばかり。期待外れで、失望した。税金で喰うメシはどんな味がするのだろう。

 

 

 

  満4周年のフードバンク松阪

                  旧宅の玄関に積まれた寄贈のコメと手島さん

                              利用者60世帯超える

 まだ食べられるのに、捨てられてしまう食品を譲り受け、それを必要とする人に無償で届けているNPO法人フードバンク松阪(手島禮子代表)か゛活動を始めて12月で満4周年を迎えた。

 昨年の受け入れ件数はコメ、野菜、果物、菓子、カン・ビン詰め、インスタント・レトルト類、鯛焼きなどのほか、ヒーターやコピー機、食器、服、洗剤など、暮らしの必需品を合わせて865件。届け数は984件。新規の申し込みは15人。

 「何と言っても最強の魅力」のスタッフは、共感の輪が広がり、当初の10人から19人へと、ほぼ倍増。月初めに開く会議が終わると、どんなに数が多くても一斉に配達。利用者の事情で急な別の日もある。

 活動のきっかけは、手島さんが社会問題になったスーパーやコンビニなどの売れ残った恵方巻の大量投棄に胸を痛めていたころ、大学の同期生から同じ思いを明かされたこと。

 当初は数えるほどだった利用者は60数世帯に増えたほか、松阪市内のファミリーマート6店でフードドライブを、ぎゅーとら長月店とコメリでそのキャンベーンを実施、さらには近郊の事業所だけでなく、東京、埼玉、滋賀などの都県からも食糧や災害用の備品が寄贈されるまでに広がった。

                     「喜んでばかりは」

 ただ、こうした゛盛況゛は、困窮の加速を現すものであるだけに、手島さんは「とてもありがたいことですが、喜んでばかりいられません」と、複雑な思いを覗かせながらも、「捨てられるものがそれだけ減る」と、ちょっぴり愁眉を開く。

 電話や来客が引きもきらず、外出もままならないほどに多忙だが、「いろいろな人に出逢えるのが楽しみ」と、もう1つの手応えも感じている。

 (問い合わせは手島禮子まで。電話・090-7309-7287)

           

          農園を2倍に拡張

 僅かなサツマイモ作りでフードバンク松阪などに役立ててもらった農園を2倍に拡張した(写真上)。広さは300坪ほどか。伊勢芋も育てることにしている。苗植えは来年5月。

 

 81歳、「意味」との問答―<その1>

 81歳の後半。遺したいものが現れた。若い頃は55歳で死ぬ、と確信していたのだが。本を2冊発刊し、それなりの社会的反響はあったが、これ以外には人に語るほどのことはしてこなかった。誰を幸せにするでもなく、徒な吸収と排泄の繰り返し。メディァでの仕事には、些かの自負がないわけではないが、そんなもの、大したことでない。トラは死んでも皮遺すと、小6のとき、先生から教えられていたのに。

 70歳の世界に足を踏み入れた瞬間、40代で気づいていたものの、実行できずにいたことが頭を擡げた。「意味」である。自分だけウマいものを喰って喜んでいるのはイヌ、ネコと同じ。他人に分け与えれば、それは2倍になる。「意味」が生まれるのだ。もとより、そんなことが目的ではないのだが、ここには孤食にはなかった深い味わいがある。

 尤も、それなら、人数をどんどん増やせばよかろうという、意地悪だが、本質的な問いには答えられないが、それが他者との関わりの中からしか生まれず、人は「無意味」に耐えられない生き物であることは、どうやら真実だ。「そんなことをして、何になる」と、人は屡々「意味」を問うではないか。

              文化古民家の後継者

 遺したいものとは、2軒目に買った築100年以上という古民家だ。自宅にしている1軒目は21年前、知人の古老に案内されて偶然に出会った。敷地50坪、建坪30坪の幽霊屋敷さながらの廃屋で、35万円で手にいれた。いつ仕事が入るか分からない軽貨物運送をしていたのでクギ1本打って引き返したこともあり、何とか住めるようにリフォームするまで3年かかった。電球を取り換えるのも億劫なほどに不器用だったが、お陰で古民家の真価を知った。新築にはない味わいがある。何千万ものローンを組むことのバカらしさを思い知った。3回の新築は何だったのか。

 

  2軒目は自宅から徒歩4分。敷地70坪、建坪30坪のほかに、100坪ほどの空き地(写真上)と茶畑が付く。3桁の値段で売り出し中だったが、図書室とギャラリーを作りたい、と「志」を打ち明けると、2桁に大幅値下げしてくれた。元小学校の校長で、「文化」への理解があったのであろう。この恩義は決して忘れまい。地元紙で紹介された。

 来春で3年になるが、自分の死後の後継者が欲しい。誠実で、文化に深い関心のある人はおられないだろうか。2年前から探しているが、「候補者」さえ見つからない。財産は全て無償で移譲する。法人化して公共財にしてもらえればありがたい。

 (関心のある方は、松阪市柚原町30-3、大窪興亜までご連絡ください。090-1471-4941)

         ウクライナから避難の父親と逢えることに

 ロシアの侵攻で四日市に避難してきたウクライナの男性と22日に逢えることとなった。この理不尽な犠牲を黙視できないと、春に200坪ほどの農園を作り、秋になって地元紙を通じサツマイモの提供を呼び掛けた。

 三重県には以前からの在留者が12人。避難者は3人で、うち2人は日本を出国、残るは1人。子どもを頼って身を寄せた70代の父親らしい。曲折を経て、四日市市役所が橋渡しをしてくれた。ダメ元で用件を電話すると、「分りました」という男性職員の闊達な声が弾け、今時の官吏とは思えないほど、とんとん拍子にコトは運ばれた。

 当初、在留者が1人いるという情報を得ていて、市役所に連絡を懇願したが、「そういうことはできません」と、女性職員は事務的に反応した。12人にネットワークがあれば、四日市に伝わるのではないか。そんな期待からであった。行政はこんなときにこそ、市民の要望に熱く応えるべきではないのか。ただ、以前からの在留者だと、個人情報の漏洩問題が起きる恐れがあり、行政としても慎重にならざるを得ない事情もあるようだ。

 

 

 

 

 

 

    意欲なし?新規条例案ゼロ

          松阪市議会の昨年の議員提案

 令和3年の松阪市議会(臨時会議含む)での議員による議案提案率は8%であることが明らかになった。このうち、議員の意欲を示すバロメーターとされる新規条例案はゼロ(議会事務局調べ)。

 提案数は市長132、議員12。議員のうち、改正条例案3、会議規則の改正1,特別委員会の設置3。新規条例案はゼロ。市長提案の採決結果のうち、原案のまま132、修正可決ゼロ。2012年の全国自治体当たりの議員提案率は9%。

 一方、全国市議会議長会がまとめた平成29年の議員提出による新規条例案は、人口10万-20万人未満の27の自治体で平均1.2件。三重県では伊勢、名張、鳥羽、熊野、員弁の4市1郡で6件。これ以外では、松阪市を含め、議員による提案はゼロ。また、平成27年は全国ベースで1651件、4.7%。

 市議会は本来、条例を提案、制定する権利を持つが、ほとんど行使されておらず、松阪市も例外ではない。同じ状態が毎年のように繰り返されており、議員自らの問題意識がいかに乏しいかを露呈している。市民からは「自分たちの果たすべき役割が分っているのか」「われわれの血税を何と心得ているのか」と、厳しい批判も出ている。

 

 標高330㍍の老人革命…自治会執行部が総退陣

            「みんなの店」が廃業

 松阪市の標高330㍍の山上で「老人革命」が起きた。80歳と70歳を目前にしたシニア夫妻が中年男女5人で牛耳る自治会の執行部を総退陣させた。価値観の違いから、老人が若者に追い出されるのなら解るが、ウソのようなホントの話のいきさつは―。

 柚原町自治会は5月19日、宇気郷市民センター講堂で臨時総会を開き、赤字が続く「みんなの店」の存続について討議した結果、過半数を大幅に上回る32人の賛成で廃業を可決した。

 これに伴い、会長、副会長、会計、書記の執行部4役が「(総会は自分への)不信任だ」(会長)として総退陣、郵便局の女性主務員も6月末で退職する意向を明らかにした。

 臨時総会は「みんなの店」と郵便局の決算報告書の開示を求めた老夫婦が集落の全住民(28世帯)の署名を集めて実現したものだが、その執念は物静かな佇まいからは想像できないほどの凄まじさで、まさに、「雨の日も、風の日も」だった。

 「店」ができたのは15年前。JAが撤退したあと、全自治会員が1万円ずつ出資(元村人が別に300万円寄付)、日用雑貨品の販売を始めたが、30%を超える急速な人口減で売り上げが低下、赤字が続いた。

 もっとも、その内実はヤブの中。令和3年度の累積赤字は120万円という「少額」だったが、自治会長の発表なので信用するしかなかった。

 不可解だったのは決算報告書を出資者に公開しないこと。役員会議で質しても「解らない」と応じなかった。高齢者には理解できない、という意味なのであろう。だが、ホントのワケは別に潜んでいた。「店」を私物化したかったのだ。

 夫が飼い犬を連れ込む、同じ棟の郵便局(自治会と日本郵便株式会社の契約で運営)の奥の部屋で、妻の主務員(自治会の雇用者)が夕食のおかずの煮炊きをしたり、飼っているヤギの餌を自治会の小屋に収めたり、日当3000円の店番の回数を自分の親しい住民(男性)に多く割り振ったり(そんな権限は郵便局員にはない)…その上、日によって極端に変わる応接態度…住民から総スカンを食っていた。
 総会で配られた決算報告書の赤字は、400万円から500万円を超えていた。そのくせ、売り上げは減っている。そのワケ質すと、会長は「出資者への粉飾だった」と、あっけらかんと答えた。閉店圧力が怖かったのだろう。

 総会では、もう1つの爆弾発言があった。会長が(出資者の)台帳が見つかった」と、真実を晒したのだ。追い込まれた上の覚悟だったろう。赤字でカネが戻ってこない、という噂が広がり、心配した一部の出資者が返金を求めたが、「証券がなければダメ」と一蹴、「台帳があるはず」との反問にも「(前任者から)引き継いでない」とハネつけていた。
 それがウソだった。「ある人が持っていた」と、数日前に老夫妻に明かしていたが、総会では「その人の名は言えない」と、公開を拒んだ。夫の議長は、その「ある人」電話で確認したが、「自分は知らない」と答えたことを明かした。台帳は、返金しなくても済むように、金庫に隠していたらしい。

              郵便局も店じまい

 郵便局も閉局された。前会長の妻が引継ぎを拒んだためだ。老夫妻は日本郵便東海支社をはじめ、近隣の簡易郵便局や知人ら、関係先を駆けずり回ったが、後釜は見つからなかった。主務員は自治会の雇用者であり、退職時には業務を引き継ぐ責任があるのに、それを断った。「教えてほしければ、頭を下げてこい」と言わんばかりの態度だったらしいことを、夫妻は間に立った住民から聞かされたという。

 「革命」は、一区切りついたが、余波はある。名実ともに村が再生するには、まだ時間がかかる。